よく、この作品は難解で哲学的だとか、主題やモチーフが○○の思想から影響を受けているだとか、そんな風に解説されている作品、ありますよね。
ではこの「哲学的」とは一体何なのでしょうか。哲学がモチーフだったらなんでも「哲学的」なんでしょうか。意味が分かんないストーリーに無理やり「哲学的」とつけて価値を見出そうとしているだけなのではないか、そんな風に考えたことは無いでしょうか。
哲学的な作品というのはしばしばそこに作者の「本音」が現れています。この世の中では大きな声で言えないけれど、あるいは言ってはいけないけれども、それでも主張したいことをキャラにストーリーに乗せて代弁させる……そしてそれは大抵が一般人には理解できずほんの一部の「同士」にしかわからないよう巧妙に隠されているので、いわゆるオタク向けの作風になりやすく、そしてそれを、一般人がよくわからないけどなんか一部で盛り上がっててすごそうなのでとりあえず「哲学的」と仮称している……というのが、少なくともサブカル的創作的な意味での「哲学的」の定義と言えるでしょう。
しかし、本来「哲学」という言葉は上記のような自己満足の産物であるはずがなく、むしろ人々に新しい視点と疑問を投げかける学問であったはずです。であるならば、本来「哲学的な」作品というのは、まだ誰も考えたことも思ったこともないような新進気鋭の作品にのみ与えられるべき称号でしょう。例えば、時代を先取りしすぎたと言われる「serial experiments lain」や、テクノロジーの進歩しすぎた社会での在り方を示す「攻殻機動隊」、躁鬱や幻覚など心の病気についてありのままを描写しすぎた三大電波ゲー「さよならを教えて」など、当時誰もが思いもよらなかった世界を構築した作品群こそ、本当の意味で「哲学的な」作品だといえるのではないでしょうか。
もちろん私は前述した一般的「哲学的」作品を貶したいわけでは全くなく、むしろどちらかといえばそういう作品がぶっ刺さりまくった人間なのでもはや大好きなのですが、それを置いといてじゃあ物書きの端くれとしてどんな作品が作りたいかと言えば、やっぱり後者の「哲学的な」ものだよね、というそれだけの話です。僕は創作に関して言えば完璧主義気質且つ飽きっぽい性格なので一つの作品を貫いて何かメッセージ性を持たすということが苦手なのですが、まあ何とかなるかの精神で日々頑張っています。その分、現在C106に向けて書いているウマ娘の二次創作は自然体というかいい意味で強張らず頭をフル稼働せずに執筆できているので、なかなかいいものができているんじゃないかと思います。ご期待ください。
1color/一色ひろえ